「伊弉諾神宮」とともに
奈良の大和坐大国魂神社(大和神社)を勧請した神社で、淡路の二之宮。九世紀には既に官社であったという。明治になってからは県社となっている。延喜式では名神大社に列する古社である。御祭神はかつて伊弉諾尊・伊弉冉尊とされていたが、現在は大和大國魂命である。
近世になって阿波藩主である蜂須賀家の崇敬を受け社殿が再興された。鎌倉中期の僧として知られる一遍上人が正応二年(1289)に参詣し、

「名にかなふ こころは西にうつせみの もぬけはてたる 聲ぞすずしき」
....という和歌を奉納している。さらにこの神社を拠点にして念仏布教を行ったともいわれている。淡路には淡路国総社として知られる「十一明神神社」があるが、「伊弉諾神宮」「大和大國魂神社」だけは合祀されていない。
神社として別格扱いということであろうか?。
鳥居
【御祭神】
 ・大和大圀魂命
 ・配祀
   八千戈命
   御年命
   素盞嗚尊
   大己貴命
   土御祖神
参道
御由緒には...
拝殿
古ヨリ八太ノ二ノ宮ト尊称シ 皇室ヲ初メ世人ノ崇敬厚ク 臨時祭及祈年国幣ニ預リ給ヒ壱千弐百八拾有余年ノ星霜ヲ経 移転ナキ旧社タル事青史ニ明カナリ 当国伊弉諾神社ヲ以テ 一ノ宮トシ本社ヲ以テ二ノ宮ト称ス
 文徳天皇仁寿元年官社ニ列シ 清和天皇貞観元年従一位ニ 敍セラル 醍醐天皇延喜ノ制ニ名神大社ニ列シ名神祭及祈年 国幣ニ預リ給ヒ淡路国正税ノ内八百束(現在ノ米十六石)ヲ祭料 ニ充テラル 文武天皇慶雲元年諸社ニ下賜フモノト伝ウル古 銅印ハ現在重要文化財ニ指定サレ今尚当社ニ所蔵ス
 土御門天皇元久二年庁宣ニヨリ祭料ヲ下サレ其神ヲ祭リ土 民群集桜花ヲ賞ス世ニ二ノ宮ノ桜祭ト称シ世人ノ知ル所ナリ 後当国二ノ宮ト仰ガレ公武ノ崇敬浅カラズ
江戸時代蜂須賀候深ク当社ヲ信仰シ元禄拾五年社領二反ヲ 下賜ヒ代々祈願所ト定メ深ク当社ヲ崇敬シ社殿ノ改築等度々 行ヒ実文拾年本殿再興文政拾弐年天保拾四年諸殿建立 然ル 所王政復古御維新以来廃藩置県ノ制度ニ改マリ其道絶セリ  明治六年県社ニ列シ三原郡一円信徒タルヲ以テ郡費ヲ充テ明 治拾年本殿及諸建物悉皆新築シ現今ニ至ル
 当社ハ大国主神即チ大己貴神ナリ其故ハ大黒ノ神影ヲ摺テ 世ニ弘メ配ル古板アリテ今猶珍伝シ近世新ニ神影ヲ彫刻シテ 用ユナリ 郷土作リノ神 医薬ノ神 難病祈封ノ神 人体五 行ノ神 病気祈願ノ神様トシテ神霊アラタカナリ
本殿

歴代天皇家との深いつながりがしるされている。

大和政権が淡路への進出に際して、大和坐大国魂(やまとにいますおおくにたま)神社が分祀されたものとされるが、詳細は不明だそうである。
淡路島の歴史や「国生み」の伝承を考え合わせると「淡路への進出」という点は納得しがたい。いずれにせよ、淡路の地が天皇家深いつながりを持ち続けた事はいえそうである。

少し降ると高速道路越しに
「自凝島神社」がすく先に見えた