「幽宮」(かくりのみや)とは....
幽宮とは仕事を終え、隠居する家というほどの意味だそうである。
なにはともあれ「国生み」の主人公が伊弉諾大神が余生を送った地に建立された神社とあっては訪ねないわけには行かない。

伊弉諾神宮の御由緒によると.....

古事記・日本書紀には、国生みに始る全ての神功を果たされた伊弉諾の大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごされたと記されている。その御住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、當神宮の起源である。地元では「いっくさん」と別称され日之少宮(ひのわかみや)・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められている。....
案内ガイドにも幽宮「伊弉諾神宮」
【御祭神】
 ・伊弉諾大神
 ・伊弉冉大神
【御社格】
 ・延喜式神名帳 明神大社
 ・淡路國一之宮
 ・明治18年 官幣大社
 ・昭和29年 神宮號宣下
....とある。
経緯を「記紀」の記述で調べると
故(かれ)、その伊耶那岐大神は、淡海の多賀(たが)に坐すなり。

古事記には上記の記述があるだけだが、日本書紀には経緯が結構丁寧に記述されている。
是の後に伊弉諾尊、神功(かんこと)既に竟(を)へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくりのみや)を淡路の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(こと)既に至りぬ。徳(いさはひ)亦大いなり。是(ここ)に天に登りまして、報告(かへりこど)したまふ。仍(すなわ)ち日の少宮(わかみや)に留(とどま)り宅(す)みましぬ。
日本書紀には少し詳しく記述されている。御由緒とも多くの点で一致するようだ。

記紀で記述に違いがあるのはナゼなのか?このことにも興味が湧くが、それよりも何よりも「伊弉諾大神」といえば、あの天照大御神や須佐之男命の「父」である。御由緒にある「わが国最古の神社」というのもうなずける。「伊弉諾神宮」こそは、この地が「国生み」のお話しと深いつながりを示す最大の証しと言っていいような気がする。
大鳥居
石灯籠の並ぶ表参道
樹齢900年「夫婦大楠」
舞殿も兼ねる拝殿
檜皮葺の本殿 姿良し
現在の本殿の位置は明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもの。江戸時代の記録では二町四方の社地を領し、御陵を中心に神域の周囲には濠が巡らされた禁足の聖地であった。
「放生の神池」や背後の湿地は、その濠の名残だそうである。
放生の神池
昭和天皇御手植の「楠」
最重儀とされる「粥占神事(かいうらしんじ)」。
稲作や作物の豊凶を占うという。

ふと「淡道穂狹別島」の「穂」の字が浮かんだ....。

「粥占神事」
毎年、1月14日宵〜15日朝