「国生み神話」歴史の彼方にある謎に迫りたい...
目的地は「国生み」伝承の地である兵庫県の淡路島とその周辺。
瀬戸内海最大の島、淡路島はいまでこそ3つの市からなる島だが、かつて古代律令制度のもとでは直轄の出先機関である国府も置かれ一国をなしていた島。播磨灘と大阪湾に挟まれ、明石海峡の向うは本州、鳴戸海峡の向うは四国。豊かな漁場にも恵まれ農業にも適した場所なのだ。
紀淡海峡をはさみ、泉州や紀の国へも続き、真直ぐに南下すれば黒潮の太平洋にも繋がる....古代においていま以上に重要であった海上交通のことを思えば、まさに要衝としての位置にあった島といえるのではないだろうか。
「国生み」の話が・・・なぜこの地に伝承されているのか?

「国生み」の神話は海人族に伝承された「島生み」の伝承がベース...との指摘がある。実際に淡路島には海人族が暮していたらしい...そんなことを思い巡らせていると現地で調べるとまではいかなくても、やはり行ってみたくる。
淡路島は「御食国」。山海の恵みに舌鼓を打ちながら、その地の風に当たるだけでもいいではないか・・・。

「国生み」のお話しは、この国の民族形成のルーツに繋がる話だと思うし「知的好奇心」をくすぐるテーマ.....イザ!。

明石海峡大橋を渡るのは、とても気持ちいい
サービスエリアから見た明石海峡大橋
「古事記」を旅の案内役として...
参考にしたのは古事記
「国生み」の話を調べようとした時、まず浮かぶのは「記紀」....古事記と日本書紀である。もちろん「記紀」を研究した解説書も沢山ある。
最古の文献というところが気に入って「古事記」を手がかりにしようと思った。もちろん文庫本だ。

古事記は完成が712年とされ、今から1300年ほど前に記された書物。
始りは天武天皇(678-686)の頃らしいのだが、この天皇は崩御され一度は撰録も頓挫したらしい。
その後、持統・文武という時代を経て、奈良時代になって元明天皇が太朝臣安万侶に命ぜられ、稗田阿礼が誦むところの、それまでの記録を苦心して文字にしたもの...本の解説にはそう記されていた。

多くの研究者たちによっていろいろな解釈もされているようだが、古事記が作られた背景にあるかもしれない思惑は別として、律令国家として国の体裁が整ってきた頃に、それまでの伝承や天皇家の系譜を整理して文字にして残そうとしたもの...そんな風に思った。
上中下の三巻からなるが、もちろん文庫本であればポケットに一冊!。

装丁や見かけではなく、やはり中身が全て!これで充分。

「国生み神話」が気になる者としては、天地開闢から国家の創建が描かれている上巻部分に最も興味が湧くが、 目を通すうちに中下巻も結構楽しく読めた。
今に残る地名も随所に見受けられるので、特に関西に暮らす方であれば、身近に感じる事ができる筈だ。
読んでいて気づいたのだが、下巻の仁徳天皇の段には何度か「淡路島」が登場してくる。
さらに仁徳天皇が淡路島において詠んだ歌にはイザナギ・イザナミが「国生み」をした島「おのころ島」がでてくる。神話以外で「オノコロ島」の名が登場するのは唯一らしい。

色々なことが、淡路島と朝廷との繋がりを示唆しているようにも思えてならない。

二柱の神、伊邪那岐命と伊邪那美命による「国生み」(抜粋)
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命二柱の神に、
「このただよへる国を修め理り固め成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。
故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして畫きたまへば、塩こをろこをろに畫き鳴して引き上げたまふ時、その 矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。

天の神が「このただよへる国を修め理り固め成せ」と、イザナギ・イザナミの二柱の神に命じたというわけである。そこで二神は「天の浮橋」に立ち、与えられた「天の沼矛」で下をかき回して、矛を引き上げた時落ちた塩の滴が...淤能碁呂島(オノコロジマ)という島になったというのである。
そんな馬鹿な....であるが、それでも「淤能碁呂島」はどこを指してのことだろうか?と気になる。
*「由良にて」参
さらに読み進むと....

その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。
ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝が身は如何にか成れる。」と問ひたまへば、「吾が身は、成り成りて成り合はざる處一處あり。」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命のりたまはく.....(中略)

かく言ひをへて御合して、生める子は、淡道の穂の狹別島、次に伊豫の二名島を生みき。
この島は、身一つにして面四つあり。故、伊豫の国は愛比賣と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比賣と謂ひ、土左国は建依別と謂ふ。次に隠伎の三子島を生みき。亦の名は天之忍許呂別。次に筑紫島を生みき。この島もまた、身一つにして面四つあり。面毎に名あり。故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国は豊日別と謂ひ、肥国は建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曾国は建日別と謂ふ。
次に壱伎島を生みき。亦の名は天比登都柱と謂ふ。次に津しまを生みき。亦の名は天之狹手依比賣と謂ふ。
次に佐渡島を生みき。次に大倭豊秋津島を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根別と謂ふ。
故、この八島を先に生めるによりて、大八島国と謂ふ。


ざっと解釈すれば、二柱の神は「淤能碁呂島」に降り立ち、結ばれて列島の島々を生み出した...ということである。この荒唐無稽に思える話をどう解釈するか?
とりあえず記述された、場所がヒントである。
塩が重なり積もってできた島「オノコロジマ」や「天の御柱」「八尋殿」。
そして最初に生み出され島「淡道穂狹別島」・・・淡路島。
1300年の時を超えて...歴史の知識も仕入れておきたい。
「古事紀」が記された時代とはどんな時代だったのだろう。
いろいろ調べると、国が国としての体を成していく様が浮かび上がってくる。
大化改新が645年。以後663年「白村江の戦」。670年天智天皇によって戸籍「庚午年籍」が作られ、694年持統天皇時代「藤原京遷都」。701年「大宝律令」。708年「和同開珎」鋳造。710年「平城京遷都」。などなど....


国が国として体裁が整い機能し始めた頃に古事記はつくられた。「古事記」に記された内容を大ざっぱに言えば、国土の起源、皇室の由来、国家の運営を記録した物語。しかもトップダウンのスタイルで...つくられた本。
そこには、国を治める側の何らかの意志が働いている...と考えるのがごく自然だろう。

「淡路島」が最初に(厳密に言えば違うようだが)生まれた島なのは、おそらくこの島が当時の国家の中枢と深いつながりを持っていたからではないのだろうか。
「国生み神話」の誕生の背景に迫るには、古代の淡路島がどのような島だったかも知る必要がありそう.....

......とまあ、堅くは考えず「気楽」に「想像力」と「愉しむ心」を携えて出掛けたいものだ!。