淡路島の歴史と神話

国生み神話 淡路島の歴史と神話

遠い遠い神代の昔…。 まだ世界には形がなかった頃…。国土創世の為、天より遣わされた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神は、どろどろの世界を凝り固める為、「天の沼矛(あめのぬぼこ)」で大海原をかきまわした。すると、その矛より滴る雫が、自ずと凝り固まって島となったという。 「自凝島(おのころじま)」である。二柱の神はこの島に天下り、そこで夫婦の契りを結び、国生みの儀式を執り行った。そして二柱は次々と島をお生みになり、やがて誕生したのが「大八州(おおやしま)の国・日本」であるという。(国生み神話より)

神々が宿る神秘の島

この神話を今に伝える「古事記」「日本書紀」によると、そのとき世界で最初に生まれたのが「淡路穂狭別島(あわじのほのさわけのしま)」すなわち淡路島であるといいます。

国土創生の神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が最初にお生みになられたという淡路島。ここには、我が国の始まりの時を刻んだ、国生み神話ゆかりの場所が数多く存在し、訪れる人々を悠久の彼方へと誘います。伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、国生みに始まる全てのご神功を果たされた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、後に余生を過ごされたという住居跡に建てられた日本最古の神社。他にも、神話の中の「おのころ島」だとされる「おのころ島神社」「絵島」「沼島」など、島内のあちこちで神話の浪漫が漂っています。

神話ゆかりの名所

日本最古の神社 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
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沼島(ぬしま)
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絵島(えしま)
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淡路富士 先山
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諭鶴羽山、諭鶴羽神社(ゆずるはじんじゃ)
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おのころ神社
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その他、淡路島の国生み神話について、詳しい情報は下記サイトからもご覧いただけます。

淡路人形浄瑠璃 ~神事から芸能文化へと~

およそ500年の歴史を持つ、淡路島が誇る伝統芸能・淡路人形浄瑠璃。
人形浄瑠璃とは、「三味線」の澄んだ音色、情感溢れる「太夫(たゆう)」の語り、
そしてまるで人の情念が宿ったかのような「人形」とが一体となって生まれる、日本独自の舞台芸術の事。 江戸時代には、近松門左衛門の「曾根崎心中」や「国性爺合戦」などの名作が生まれ、当時を代表する芸能文化として隆盛を極めました。 実はこの人形浄瑠璃も、国生み神話と深い関わりを持っています。

淡路人形の元祖 上村源之丞座に伝わる「道薫坊伝記」によると、この人形芝居は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)の子である「蛭子神(ひるこしん)」の心を慰める為に、西宮戎神社で奉納された人形操りがその始まりであるとされています。それがおよそ500年前に、傀儡師(くぐつし)百太夫により淡路島にもたらされ、この地で大いに広まりました。

明治時代に入るまでは、毎年淡路から12人の役者が選ばれて上洛し、天皇一家の一年の幸せを祈願して三番叟(さんばそう)を舞ったということです。
神事からはじまったこの人形操りが、江戸時代に「浄瑠璃」「三味線」と融合し、「人形浄瑠璃」という芸能文化として発展。
18世紀のはじめ頃には、淡路島内に40を超える座元が競い合い、全国各地を巡業して廻りました。その事実を現すかのごとく、日本各地には淡路人形の影響を受けた座が約80座も残っています。

有名な大阪の文楽や徳島の阿波人形も淡路島から伝わったもの。文楽の祖・植村文楽軒は淡路島出身で、青年期には淡路人形の一座で修行していました。

近年、淡路人形浄瑠璃は国指定の重要無形民俗文化財となり、海外公演による目覚ましい活躍や、全国の人形浄瑠璃保存団体が淡路島に集い全国人形芝居サミットを開催するなど、国内外に向けての文化発信に勢力的に取り組んでいます。

淡路人形浄瑠璃はこちらでご観覧頂けます。
淡路人形座:http://awajiningyoza.com/ningyoza/

淡路のだんじり唄

南淡路の春はだんじり唄に乗ってやってきます。3月上旬から5月上旬にかけて毎週どこかの神社で春祭りが行われ、そこで奉納されるのが『淡路だんじり唄』である。

唄は太鼓、拍子木のリズムに合わせ、威勢よく唄う「ツレ節」(全員でうたう合唱)を基に浄瑠璃調の「語り込み」と民謡調の「振り」と呼ばれる独唱部があります。この二つの独唱部は物語の状況や登場人物の動作、心理を説明する役割を持ち、観客が目を閉じて聞いていても容易に筋書きが分かるようになっています。唄の合間に登場人物のせりふ「ことば」が入るが、老若男女を使い分ける演技は歌舞伎役者も真っ青の迫力で観客を魅了します。

だんじり唄は別名「浄瑠璃くずし」とも言い、淡路人形浄瑠璃の外題(演目)や歌謡浪曲をもとに、名場面を抜き取り脚色し浄瑠璃や民謡調の節回しを付け、さらに日本の伝統芝居、話芸などを取り入れながら、独自の団体芸に昇華した、淡路島の代表的な郷土芸能です。
この芸能の背景には500年の伝統を誇り文楽人形のルーツともなった淡路人形浄瑠璃の存在があります。

淡路だんじり祭りについて

淡路島で開催されているだんじり祭りは、永享8年(1436)に第102代後花園天皇が尾張の国島津祭の時 に、11隻の船に幕を張り幟を立てて、祭りにまぎれて台尻という役職についている大隅守を攻め討ち取った時、「皆の衆台尻を討ち取ったり!」と歓喜したという。
その後、飾り船を『台尻』と呼ぶようになり、陸上にも台尻を造り祭りに出すようになったのが始まりとされています。

元禄3年(1690)、洲本の庄二郎または与二郎という船頭が九州の日向の国(宮崎県)へ行った際、古物商から屋台を買って帰り、同年8月の洲本八幡神社の祭礼に出したのが起源だと言われています。
このだんじりは大勢で綱を持って町内を曳き歩くものでした。そのとき各地で起こった出来事を面白おかしく風刺的にやったのが有名になりました。

これに刺激された他の村落にも次々とだんじりが造られるようになり、
また時代と共に造りにも改良が加えられていきます。

現在のような大型で真っ赤な五重のふとんだんじりが作られるようになったのは、
明治23年ころで島内各地域で競ってだんじりが作られるようになったからと言われています。

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